アンガールズの田中卓志さんといえば、独特の風貌とキャラクターで人気のお笑い芸人ですよね。
しかし、彼には意外な過去があるのをご存知でしょうか?
実は田中卓志さんは、広島大学工学部出身のインテリ芸人なんです。
今回は、田中さんの大学時代から芸人への転身、そして現在に至るまでの秘話に迫ります!
田中卓志の広島大学時代
田中卓志さんは、1976年2月8日に広島県で生まれました。
高校卒業後、1年間の浪人生活を経て、念願の広島大学工学部第四類(建築学課程)に入学。
驚くべきことに、大学入試の二次試験では物理で満点を取ったそうです!
凄いですよね。
大学では建築学を専攻し、将来は建築業界で活躍することを目指していました。
田中さんの卒業論文は『骨組構造の新しい解析法』というテーマで書かれたそうで、この卒論は後に『タモリ倶楽部』で発表されるという、ユニークな経歴の持ち主です。
建築学から芸人への転身
しかし、大学生活の中で田中さんの人生は大きく変わることになります。
きっかけは、テレビ番組『ボキャブラ天国』でした。
この番組を見て、田中さんはお笑いの世界に強く惹かれていきます。
「僕は建築もお笑いも同じぐらいの熱量で好きだったけど、最終的にはちょっとだけお笑いの方の熱量が高くなった」
と、後に語っています。
そして1999年3月に広島大学を卒業した田中さんは、両親には大学院に進学すると偽って上京し、お笑いの道を歩み始めました。
アンガールズ結成と下積み時代
上京後の2000年9月、田中さんは大学時代のサークルの仲間だった山根良顕さんとコンビを結成。
2002年1月、ついに「アンガールズ」としてデビューを果たします。
しかし、デビュー後もすぐには芸能界で成功できませんでした。
田中さんは、東京都世田谷区にある風呂なしアパートで約3年間暮らし、厳しい下積み生活を送ります。
この辛い状況の中でも諦めなかった田中さん。
広島大学を出たのにそんなことをしているのかと周りから言われるのが嫌だったため、諦めずに耐えて努力したそうです。
この努力があったからこそ、今の成功した田中さんを私たちは見ることができるのですね。
田中卓志が語る夢への熱量とアドバイス
現在、自分のやりたかったことで成功している田中さんは、自身の経験を踏まえて後輩たちにこんなアドバイスを送っています。
「どんなにきつくても、これだったら乗り越えられるというぐらいの熱量のある仕事に就いておけば、どんな形でも成功する」
かなり胸に刺さる言葉です。
しかし、なかなか大学時代や若い時に、自分が何がやりたいのかを見極められる人は少ないのではないかと思います。
私なんて、今だに何が一番やりたいのかわからず、彷徨っている状態なので、これが一生続くような気がして恐ろしくなってきました。
田中さんは、大学で先行した建築関係の仕事をしたかったけれど、自分のやりたいことがお笑いの方が少しだけ優っていたと気がつき、そこで地道に努力して今の成功を手にいれたのです。
若い皆さんも、ぜひ何が自分の中で一番なのか、ぜひ時間をかけて考えていってほしいと思います。
私みたいにならないように。
まとめ
田中卓志さんの大学時代から芸人としての成功までの道のりを見てきました。
広島大学で建築学を学びながらも、お笑いへの情熱を追求し、厳しい下積み時代を乗り越えて今の地位を築いた彼の姿は、多くの人に勇気を与えるものではないでしょうか。
夢を追いかけることの大切さ、そして熱量を持って取り組むことの重要性を教えてくれる田中さんの経験は、私たちにとって大きな励みになりますね。
これからも田中卓志さんの活躍に注目していきたいと思います!
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